大矢田のひんここ祭

 ひんここ祭は大矢田神社の祭礼で、500年程前から伝えられ、
 国の無形民俗文化財に選択されています。
 祭は4月第2土曜日の翌日の日曜日と
 11月23日(祭)に行われます。
 秋の祭は保存会のみなさんが行い、
 春の祭は、大矢田の各地区が交代で行いますが、
 平成16年の春は私の住む二町地区で行いました。
 その時の様子を紹介します。


 朝 3時半に 集会場に集合し、神事を行った後、
 参加者をはじめ 地区の人々にひんここ餅や御神酒がふるまわれた。
 太鼓の合図で「ヒーンココ チャーイココ チャーイ チャーイ ホーイ」
 のお囃子と共に門出の舞のはじまりです。
  

 御神火を中心にひんここを3回まわし 大矢田の里にお祭りの開始を知らせます。
 そして、猩々姫を先頭に道行きへと出発します。
 行列は、大松のあかりでお囃子をともなって祭場まで進む。
 途中 古呂姿受(ころばず)では、お囃子をとめ静かに通り過ぎます。
 古呂姿受は、大蛇の胴体を埋め鎮めた所で、
 それを起こしてはいけないと言い伝えられています。
  
 行列が祭場へ着いたころには、空はうっすらと明け始めていました。
 たき火を中心に3回 舞回した後、
 舞台に人形をたてかけ、一部のものを残して一旦 家にもどり休息し
 また 朝になってから準備に出てきます。
  
 準備が終わると、祢宜殿(須佐乃男命)の奉迎の舞がはじまる。
 舞はちょうど 神主のおはらいのように舞われ、大矢田の里や参拝の人々をはらい清める。
 御神幸の行列が到着し、御神興がお鎮まりになると、祢宜殿は一層大きく飛び上がるように舞続けます。
                 
 午後になり、稚児の舞・獅子の舞が終わり、獅子が壇尻山からひんここの舞台に向かって
 合図をすると大蛇退治の舞のはじまりです。(いよいよ本番です。)
 庄屋を先頭に12体の農人形が舞ながら登場。
 舞ながら舞台を3回 廻る。そこへ大蛇が登場。
 お囃子にあわせ舞台を3回廻るうちに逃げまど農人形12体を飲み倒してしまう。
 農人形が全部倒されると須佐乃男命は、勢いよく舞いはじめ、大蛇の頭と接しては離れ、
 離れては接し、激しい乱闘の末 大蛇は退治される。
 これもまた、大蛇が3回廻ると倒れる。
 (この大蛇退治の舞と平行して猩々の舞と竜の舞が行われる。)
  
  

 めでたく大蛇を退治した須佐乃男命は、喜びを表して、舞い大神様をお送りします。
  
     

 これで祭は終わり後かたづけをし、皆帰路につきました。

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